不定期に想いを綴ります。
「センス」

「センス」

「センスがないから」
「センスいいね」
この言葉を含んだ会話や文字は、ファッション好きの人なら敏感になりますね。

では、「いいセンス」
「よくないセンス」って、どういう定義があるのでしょうか?

「○○だから、いいセンス」
「○○じゃないから、よくないセンス」
この判断はその人ではなく、その人以外の判断ですよね。
「似合う」と全く一緒とわたしは考えてしまいます。

不確実な信憑性のない言葉です。

自分以外の人が感じる印象だから、
千差万別は当たり前。

わたしのセンスが、万人に向けなんて考えたこともないです。
「たいしたことない」と感じる人がいて当然です。

「センスいいね」は
その人と共感できたということだけ。
きっと、好みが似ているのかなと想像します。

センスを磨く

この二語文も刺激的です。

そもそもセンスとは、
人それぞれの内面にある感覚的なもので、
感じ方理解の仕方あるいは表現の仕方に現われ出るもの
物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。
とあります。

日常のなんでもない情景や暮らしを感じる豊かな感性
美術や工芸、映画や音楽など五感から刺激を受ける感覚

そして、その人の経験や経歴の中の
「好き」
「ステキ」
「きれい」
「美しい」など心を動かしてきたもの

これらを全て融合した感性の中の美意識を表現することと考えています。

ボーっと生きてられません。
なんて、脅し文句ではないですが、
感じる心があるなら、その習慣が感受性を豊かにし
自分の「美」を貪欲に重ねます。

ところが、人は余裕やゆとりがなければ「美」を感じる心が動き出しにくいです。

心のゆとりとか
心地のいい環境とか
これって、意外と見落としがちなことかもしれません。

今思うと、柔軟でまっさらな子ども時代の感覚が歳を重ねてくるとフッと湧いてくるのです。
母はよく「情操教育」という言葉を口にしていました。
絵画教室での絵の具の混色の不思議さ
書道教室の墨と筆の線の美しさ
園芸委員の植物の本質を生かした植栽

あの頃はただ「楽しかった」という感情だけで夢中でした。
純粋な「きれい」「美しい」の感覚が呼び起こされて
美意識の原点と気づかされました。

今もなお、五感の刺激を積み重ねて

サクラダファミリア

「磨く」ではなく積み重ね

「センス」と聞いて劣等感を持つ必要はないです。

あなたが感じる「きれい」「美しい」を覚醒するだけです。

 

この想いを綴りたかったのは、
整体の先生の言葉がきっかけです。
「技術を学んでも、自分のものにするセンスが必要」と。
自分の技術を覚醒させるセンス、
「なるほど、それぞれにセンスの意義の深さが違うのか」と思いながら、
「センス」ということをわたしの場合はと考えてみた次第です。