あなたは、”服を着る”ことを考えたことがありますか?
機能性から服を着る
大昔は、裸・・・
そして、古来からの教えによって、
だんだんと外敵や寒さ暑さから身を守るために服らしきものを羽織るようになりました。
そして、職業や仕事を示すユニフォームや集団組織の所属を表す学生服など記号の役目があります。
守る
記号
自己表現のひとつ
自己表現は人それぞれなので同じではないです。
「着ている服」が「自分自身」となれば、
他の方の目には、どんな風に映るのでしょうか? 気になります?
「着ている服」って、かなりのメッセージ性を発信しています。
自分発信の服が、
自分以外のためなら、「身だしなみ」「TPO」「好印象」を意識したもの
ビジネス仕様も当てはまるでしょうか?
反対に、自分のためなら、自分の存在を意識したもの「自分の世界観」「自分の好み」
着る服はその人の生き方や本質を表現する~その人そのままを表現する
自分自身の気持ちを最優先に着る服を選びます。
少し前から
鷲田清一著書の哲学視点や服装心理学の本や資料を読んでいます。
改めて、
着てみたい
ウキウキする
しっくり感がいい
落ち着く
自分らしい
自分の気持ちや感性を最大限に大事にして「服を着る」ことに向き合っていきます。
三宅一生氏より
「衣服のために人間がいるわけでなく、人間のために衣服がある。
衣服は平面の布を立体である人体に着ることで成り立つ」
最後に、原美術館で開催されていた 杉本博司氏 「ハダカから被服へ」の冊子より
「なぜ、わたしたち人間は服を着るのだろう。わたしたちは装い装う。私は私以外の何者かになりたい。
いや、わたしであるためには、わたしはわたしを装わなくてはならない。
現代文明のただ中では、裸は許されない。わたしは裸の自分を感じる。わたしは着せ替え人形だ。
毎日服を着て、わたしはわたしを演出する。
他人はあなたの装いを見て、あなたを認知する。
それがあるにしろ、ないにしろ、わたしはわたしの知性を装い、わたしの資産を装い、わたしの嗜好を装う。
装いは服だけではない。
わたしの表情、わたしの仕草、わたしの眼の翳り、それらは自動的にあなたの着るものと連動している。
あなたの意志とは係わりなく、あなたの着る服が、あなたの表情を決める。
あなたは、あなたの服の気持ちになる。
顔というあなたの仮面は、あなたの服に最もふさわしい仮面を選ぶ。
大昔、わたしたちが裸で暮らしていた頃、わたしたちは幸せだった。」
当たり前に着ている服ですが、真剣に向き合ってみませんか?